消えない影
膵内分泌腫瘍の手術(膵体尾部・脾臓合併切除)から間もなく3年が経過しようとしている。
術後合併症の仮性膵嚢胞の発症でステント留置を行い、肝臓の亜区域S8に陰影を認め肝転移疑いが否定されてから約2年。
定期検査も今では半年ごとにCT造影とMRI造影を交互に行っている。
陰影の濃淡に変化はあるものの、陰影自体が完全に消失することは無く、今回のCT造影では陰影が濃くなっているためMRI造影も実施することになった。
ところが、CTよりも詳細が判るはずのMRIには陰影がないとの説明だった。
つまりは転移・腫瘍は否定的だから今後も今まで通りの定期検査でいいとのことだった。
転移・腫瘍が否定的なのは喜ばしくあるのだが・・・。
CTにある陰影がMRIで写らないって・・・。
なぜなのか医師に確認しても医師は理由の説明ではなく読影の専門医が診たから大丈夫だと的外れな返答をするだけで、終いには経過を診ても進行性で手術できなくなるほど手遅れになることは無いと言い出す始末・・・。
非機能性膵内分泌腫瘍はそもそも腫瘍の成長が遅く現在の画像診断に腫瘍として診断されるサイズに成長するのには何年も経過するため、転移があったとしても発見するのには19年掛かった症例もあると手術の時説明を受けた。
だから、今回医師の言わんとすることは解らなくもない。
しかし、CTにある陰影がMRIに写っていない理由の説明にはなっていないと思う。
そもそもMRIで精密検査と言っていたのに、MRIの方が詳細が分かるはずじゃなかったの?
知り合いの放射線技師に尋ねてみたら、CT造影後の精査であればCTに写っているのにMRI造影で写らないってことは無いと言われた。MRIには様々なパターンの強調画像が撮影できるため、陰影のタイプを探りながらパターンを変えていくらしい。どのパターンの強調画像かで陰影が何によるものかを診断するらしい。
今回なぜ写らないという説明になったのかは不明だが、放射線技師のスキルにもよるのかな?なんて思ってみたりもする。
気になるのは、私の膵内分泌腫瘍は血管破裂が長年にわたり繰り返された血腫が無数にあったということ。診断のきっかけとなった激痛は大きめの血管が破裂したためだろうということ。診断を受けるまでの十数年、夜眠れなかったりマッサージを受けても良くならないような背部痛が何度となくあったということ。最近、以前とは場所は違うものの同じような痛みが時々あるということ。肝臓でもし同じように血管破裂を繰り返した場合、血管が豊富な肝臓では致命的な出血を伴う可能性があるのでは?ということ。
未就学児を抱える母としては少しでも確実に長生きしたい訳で、判るべきところははっきりしておきたいと思うわけです。
顕在化している症状は緊急性は無くても楽観視できないので、ちゃんと診断してほしいと思う今日この頃です。
膵体尾部・脾臓合併切除後の癒着
膵内分泌腫瘍の診断を受け手術を受けてから2年半の年月が過ぎました。
術後の合併症や転移疑いでの入院を繰り返していた頃が少し懐かしく感じられるくらいに日常が病院と縁遠くなりつつありますが、数か月前までは突然の腹痛で短期入院を繰り返していました。
慢性的なお腹の張りと便秘傾向、日常的に起こる自制内の腹痛・背部痛を抱えながらもある程度の家事をこなせるようになり、1年前から週3回程度のパートにも行けるようになりました。
しかし、2~3ヶ月毎に突発的な腹部・背部の激痛で緊急入院。
白血球・CRPの上昇はあるがアミラーゼや肝機能の異常はなく超音波では小腸や下行結腸での腸液充満を認め、造影CT・MRIでは異常所見は認めないという結果。
3~4日程度の入院でその間絶食し輸液で経過、特に治療らしいことはせず腸の安静を図るだけで炎症反応は消失し食事開始で問題なければ退院し自宅安静のくりかえしでした。
腸蠕動を亢進させるセンノサイド系の下剤は腹痛を誘発させるため使用せず、腸液の分泌を亢進させるアミティーザは悪心や食思低下が出現しマウス実験で着床した受精卵が消えるなどの報告があるとのことで妊娠を完全には諦められない心境もあり使用を中止し、緩下剤のマグミットだけで経過観察中でした。
私自身もですが、家族や職場の上司・仲間からこんなに繰り返すのは心配だからとセカンドオピニオンを勧められました。
知人の紹介で消化器内科を受診し、精査を行いましたが術後癒着が著しい以外に異常所見はなく、これまでの痛みは癒着性のものだろうとの見解でした。
ただ、この時医師からお腹の張っている頻度と痛みの頻度どちらが多いか聞かれ、お腹の張りは四六時中あることを伝えると、腸を少しづつ動かしてお腹の張りをまずは解消してみようと提案されました。
腸蠕動を少しずつ亢進させて腸浮腫を軽減させることで腹痛が激痛に移行するのを軽減できるかもかもしれないという説明でした。
その過程で痛みの頻度が上がるようならアプローチの仕方を変えるということで、まずはガスモチン→大建中湯で腸蠕動を亢進させてみようということになりました。
ガスモチンを1週間ほど内服していると少しお腹の張りが楽になり痛みはほとんどありませんでした。
それまで当たり前のようにあった張りが少しでも楽になると、もっと楽になりたいと欲が出て少し効果の強い大建中湯に変更してもらいました。
処方は毎食前に2包ずつですが、便が緩くなるようなら自分で調整しても良いとのことでした。
喜ばしいことにお腹の張りはほぼ無いに等しくなり、月経周期で変わる便秘と緩便に合わせて大建中湯とマグミットを調整しながらこの5ヶ月は入院するこてゃなく経過しています。
日常の中で腹痛や背部痛は時々ありますが、以前のように冷や汗が出たり吐いたり過呼吸になるような激痛はなくなりました。
余談ですが、お腹が張っている頃は肌荒れがひどく老け込んでしまっていましたが、今は肌の調子が良く体重も手術前に戻りました。
閉塞性大腸炎
膵内分泌腫瘍で膵体尾部・脾臓合併切除を行ってから間もなく2年が経とうとしている。
術後しばらくして術後仮性膵嚢胞を合併しなかなか自然吸収されないばかりか、どんどん大きくなってしまいステント留置の治療を受けた。
その後もたびたび原因のはっきりしない腹痛で救急外来に駆け込み鎮痛薬のお世話になり、安静と検査のための入院を繰り返してきた。
膵臓の手術は侵襲の大きなものだから多かれ少なかれ術後の不調はあるものだと言いながらも常に原因の追究をし続けてくれた主治医のお陰で自分の体の状態を少し理解できるようになってきた。
最近まで繰り返してきた急性腹症(突発的に襲ってくる腹部の疝痛)は便秘による閉塞性大腸炎で腹膜に固定されていない横行結腸が長くたわんだ状態にあり、且つ膵体尾部と脾臓を切除した空間に大腸が入り込み便が流れにくくなってしまっていることと、便が引っ掛かりだすと腸の血流を妨げてしまい炎症や痛みを生じているのだということ。
通常の軟便くらいだと引っ掛かってしまうので緩めの便を心がける必要があり、食生活や運動だけでなく緩下剤を量は調節していいので必ず毎日服用した方がいいということ。
術後は腸の動きが悪くいつもお腹が張っている感じがしていて発酵食品やオリゴ糖系の果物、水溶性食物繊維などを積極的に摂ってウォーキングもするなど、なるべく薬を飲まずに生活できるよう努力していた。
でも、薬とも仲良く付き合っていかなきゃならないらしい。
7cmもの腫瘍でありながら良性で抗がん剤なども投与する必要がなく、合併症もそれほど重度なものではなく日常生活を送れるという恵まれた状況なのだから少しでも健康であろうと、そうでなくては罰が当たるようなそんな気持ちもあったらしく、気持ちが空回りしているような虚しさは感じた。
血糖値もHb-A1cも最近正常値ギリギリになってきて日頃気を付けていることが虚しく感じてきていたこととも重なっているのかな。
とても些細なことなのにとても未来を不安に感じてしまった。
もう一度、絶望から未来が開けた時の感謝を思い出して今を大切にしながらかけがえのない今に感謝しながら過ごそうと思う。
何をするべきかは解っているのだからできることをやっていこうと思う。
消えた影 そして復職
膵内分泌腫瘍の手術から1年8ヶ月目の定期検診でずっと不安要素だった肝臓の影が造影MRI上ほとんど確認できない程度に消失。
膵内分泌腫瘍はとにかく成長の遅い腫瘍なので現在の診断技術では特定できるまでにある程度腫瘍が成長していないと診断がつけられないと釘は刺されたものの、現段階では大学病院まで通う必要はないため地元の総合病院での定期検診に切り替えることになった。
半年ほど前から漢方外来の受診を止め、筋力UPのためのウォーキングを開始。
週に2~3回20分だけのささやかなものだが、腕を伸ばした状態で振り子のように大きく振り、腕の振り子作用で歩くというアドバイスをもらい地道に続けるうちに体が徐々に軽くなり家事も休まずこなせる位に体力が回復した。
金銭的にも夫に負担をかけてきたのでパートに出ることも考え週3日、6時間の好条件で3か月前に復職することもできた。
復職したばかりのころは背中も腕も足も湿布だらけになる始末。
体力、筋力ともにこんなに落ちていたのかと現実を知った。
しかし、病的な衰えからは回復していたらしく、1週間ごとに体も慣れだし、今では湿布のお世話になることはほとんどなくなった。
はたからは病気とは縁のないように見えるほどになっている。
職場には入職時の面接で病気のことは伝えてあり、一緒に働く同僚にも伝えてあるが差別を受けることもなく働かせてもらえている。
間もなく発症から2年を迎えようとしているが、自分の体と向かい合いながら大切にしながら生活していきたいと考えている。
消えない陰
ちょうど1年前の今頃、膵内分泌腫瘍摘出後の合併症仮性膵嚢胞の治療で入院した時に肝臓に陰があると指摘され肝転移だと言われた。
手術日が決まり入院の数日前になって術前検査の結果で陰が薄くなってきており、転移ではなく血流障害の可能性が高いとのことで手術が中止となり経過観察になった。
血流障害であれば吸収されて陰も徐々に消えるだろうとのことだった。
しかし、1年たった今も陰は消えず薄くもなっていないらしい。
画像診断上は血流障害と出ているが、腫瘍の体質上転移じゃないとは言えないとのことだった。
1年間変わらずにあることでむしろ転移の可能性が高まっているのかな?
と思うような主治医のコメントに不安が強くなる。
腫瘍の成長が遅いのは良性だからと考えても転移ともなると原発の腫瘍より悪性度が高い気がしてしまう。
これが取り越し苦労であることを願うばかりだ。
膵内分泌腫瘍の摘出から1年
突然の発症と膵内分泌腫瘍の診断、手術からあっという間に1年が過ぎた。
手術後の痛みは痛み止めの副作用で使える薬の限られている私には二度と味わいたくない恐怖として思い出される。
ちゃんと痛み止めが使えればちゃんと眠れた日々だったのだろうとも思ったりするが、術後に麻薬のお世話になろうとは術前思いもしなかった。
麻薬のお陰で苦しみから解かれて少しづつ動けた時のあの何とも言えない安堵感は今でも鮮明で、どうしてもっと早く使ってくれなかったのかと思ったことも思い出す。
そう簡単に処方の判断ができないことは判っているのだが人間苦しいと自分中心にしか考えられなくなるものだと実感した。
術後、痛くて痛みで息苦しくて身の置き場もなくて眠れなくて、「痛みのコントロールはきちんとするって言ってたのにどうして?」って看護師に言ってしまったり、1分1秒が長くて何度もナースコールを押してしまったり。
近くで急変のアラームがしきりに鳴っていると頭では解っているのにどうにかしてほしいとすがる思いに勝てなくて。
思い出すとまだ切なくて、自分は痛みを我慢できない神経質な自己中な人間なのだろうかという思いに襲われる。
冷静に考えれば、あの時はとにかく必死で堪えて、体中が強張って手が痺れたり息が乱れたりしていたのだから決して甘えではなかったと思う。
1年がたってもこんなことを考えていられるのは今が何事もない平穏な日々だからだけど、いつか来るかもしれない再発や転移への不安があの時のことを甦らせている。
7cm以上もある腫瘍は再発・転移の確率は3cm以下のものからすると格段に高くなる。
良性だった場合のデータは見つからなかったため大きさに比例して悪性の確率も高いだけで良性だけで大きさによる確率を出せば多少低くなるだろうと勝手に思ったりはするが、どっちに転ぶかは神のみぞ知るだ。
漢方のお陰もあり仕事も家事も以前よりずっとこなせるようになってきて、はたから見ればとても元気な状態になれた。
本当にありがたいことだ。
幸せを感じるたびにこうして不安を抱くなんて矛盾しているようだが幸せだからこそ失いたくなくて不安を感じてしまうのだろう。
再発・転移の恐怖はずっと終わらないから上手に付き合っていけるといいんだけど。
できるだけ長い付き合いで居たいので。
最近では体をねじっても体の中が痛むということも少なくなってストレッチなどもできるようになっているから今は今を大切にできることからコツコツと生きていきたいと思う。
それがこの1年で学んだことだから。
漢方外来
肝転移疑いが晴れてさらに1ヶ月後の検診も肝臓に転移らしきものは見られず血流障害による血腫らしきものがあるだけだった。
主治医からは毎月だった検診を間をあけてもいいでしょうと言われほっとする。
膵内分泌腫瘍の性質上、成長が緩やかなので1年に1回の検診でも心配ないとのことだが、とりあえず次は5ヶ月後になった。
気になる症状はないかときかれ、みぞおちの右あたりが不定期に痛いことや偏頭痛があること、疲れやすく普段しないことをすると筋肉痛で寝込んでしまうことなど些細なことでもありのままに伝えた。
術後の後遺症として受け止めていることも伝えると、術後よく見られる症状で心配はないと思うがみぞおちの痛みは気になるとのことだった。
そこで、前々から気になっていた漢方外来への受診を希望すると、それはいい考えだと言ってすぐに予約を取ってくれた。
後日、漢方外来を受診するとそこが心療内科だと初めて気付いた。
心療内科に偏見を持っていたつもりはなかったが、自分が受診しているとなると少し周りの目が気になってしまうのも事実だ。
しかし、診療を受けると事細かに体の症状を聞いてくれて診察してもらい、正直今までこんなことまで言うと気にしすぎだと言われそうと思うことまで必要な情報として掘り下げてくれるので自分の中で堰き止めていた漠然としたモヤモヤが軽くなった気がした。
診断としては『気欠』と『血逆』。
気力体力の衰えと血流の滞りということらしい。
処方された漢方は『補中益気湯』と『当帰芍薬散』。
香りも味もびっくりするくらい飲みやすくごくごく飲めました。
漢方は体が必要としているものだと苦味もあまり感じないのだそうです。
少しずつですが体も軽くなってきたように感じられます。
目覚ましく症状がよくなるわけではないけれど少しずつ元気だったころの自分に近づけているようで少し前向きになれるようなそんな気分です。
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最近ふと思うこと
膵内分泌腫瘍と診断されて10ヶ月くらいになるだろうか?
手術して良性だと判ってホッとして、合併症の膵嚢胞が出来て治療して、肝転移を疑われたけどただの炎症だったと判ってホッとして・・・。
本当に色んなことが起こって子供に寂しい思いもさせたし夫にもたくさん苦労させてしまったからこんな厄介な病気になるなら独り身の方が良かった何て何度も思った。
家族を置いて死ななければならないなんて考えたことなかったから。
結婚して3年でこんなことになるなんて想像したことなかったし。
息子を妊娠してHtlv‐1って判った時に当たり前にするつもりだった母乳育児が出来なくなってショックを受けたときも当たり前の日常なんて幻想に近いなんて思ったり大往生するつもりだったけど意外と寿命も短いかもとか事故死よりは病死の方が猶予があるのでは?何てことを考えたこともあった。
でも想像するのと現実とじゃあまりにも違う。
手術前の生検で良性でも腫瘍のサイズが7cmなら安心できる内容では無かったし、オキシコンチンの副作用で躁鬱みたいに情緒不安定になるし、そんななかでも子供は母親を必死に求めてくるし。
誰よりも必死に現実を受け止めて支えようとしてくれている夫に思いをぶつけるしかできない自分に嫌になったり。
入院中、同室の女の子が「家族は生きていてくれるだけで十分と言うけれど本当は居るだけで負担でしかないのに生きてていいのかと思う時がある」と言っていたが、身の回りのこともろくにできないお金のかかる自分に存在価値を感じられないくらいネガティブになる時があるのは確かだ。
やっと病状が落ち着いて家事ができるようになってきて夫の仕事の手伝いも少しづつ初めて元の生活に戻りつつある今日この頃、病気が判る前に当たり前に描いていた未来を実現できるのではないかという欲がむくむくと湧き上がるようになってしまった。
例えば仕事。
膵内分泌腫瘍・手術・膵嚢胞に関連した症状は、食後の胃もたれや膵嚢胞のあった辺りの痛み、腸動痛などなど病院に行くほどではないものが続いてはいるものの日常生活は問題ないからちょっとでも役に立ちたくてがついつい欲張って体が悲鳴をあげて1日寝込んでしまうくらいやってしまったり・・・。
他には、息子が2歳半になってだいぶ手が離れてきたこと、自分が38歳で出産リミットが近づいてきていることもあり妊娠・出産はどの程度リスクが伴うものなんだろうと考えてみたり・・・。
入退院を繰り返している頃には息子を母親のいない子にしないようにリスクを冒すようなことはしないって思って夫とも子供はもう作らないって話し合ったはずなのに、ちょっと元気になって病院から縁遠くなってくると、やっぱり一人っ子は可哀想とか思ってしまう。
健康ではない自分、できない自分、できなくなった自分をあれだけ思い知ったはずなのに、私って懲りないなあと思う。
長年培ってきた価値観・アイデンティティは頑固だ。
腫瘍が良性で経過も良好で特に服薬する必要もない状況が私をこんなにも楽天的にしているのか?
とも思ったり・・・。
リスクを冒したい訳ではない。
ただ、砕けた未来がローリスクなら取り戻して叶えたいというだけなんだけれど・・・。
他の人はどうなんだろうかと思って同じ膵内分泌腫瘍の方のブログを覗いてみたりすると結構普通に生活していた方のブログがある日ぷっつりと更新されなくなっていたりして未来への不安が広がってしまったり・・・。
命の期限が分からないのは誰もが同じだけれど、死を意識しながらも楽しく生きようとすることは難しいと感じてしまう。
心のバランスはいつも一定ではなくてとてもすんなり今を受け入れられる時と、逆に自分を不幸に思ってしまう時と、病気になったからこその絆や愛情に感動して今までにないくらいの幸福感に包まれたり・・・。
もしかしたらとても贅沢な悩みなのかな?